鶴亀海苔時代

こちらのブログでは、鶴亀フーズのことをもっと皆様に知っていただくために、私たちの商品づくりへの思いやこだわり、日々の取り組みや会社の歴史などをお伝えして行きます。弊社は、鶴亀海苔時代から数えて、来年2018年に創業70年を迎えます。前回の「創業時の鶴亀」に続き、今回は、鶴亀海苔時代(1968年〜2005年)について幸野文俊会長にインタビューを行いました。(会長インタビュー 2017年8月)

 

 

− 鶴亀海苔株式会社について

 

会長 昭和22年(1947年)に私の父・幸野盛登(ゆきのもりと)が「幸野盛登商店」を創業して、21年が経った昭和43年(1968年)。生産量の拡大のため、会社を大きくすべく「株式会社鶴亀海苔」が誕生しました。会社設立前は、自宅で海苔の加工などを行なっていましたが、「鶴亀海苔」は、大量生産・大量販売ができる体制を整えるために、まず工場を建設しました。上の写真は、その時の工場完成パーティーの様子です。当時、私は22歳で、大阪のお茶屋さんに修行に出ていましたから現場にはいなかったのですが、写真を見るかぎり、生バンドの演奏があったり、地元の有志の方もお招きして盛大にパーティーを行なったようですね。


 

「鶴亀海苔」時代は、スタッフ多かったです。毎年5月に開催される坂ノ市のお祭り「万弘寺の市」には、揃いの浴衣に身を包み、全スタッフで参加していました。

 

 

 

− 商品について

会長 「鶴亀海苔」時代は、お中元やお歳暮のギフトとして海苔が人気がありました。一番人気があった商品は瓶詰めの海苔ですね。私は26歳で、大阪のお茶屋の修行を終えて大分に戻り、「鶴亀海苔」では商品開発に携わっていました。当時はデパートからのご要望で、ご当地色を加えた「カボス海苔」を開発・販売するなど、商品アイテムの種類も多かったですね。

  

 

− 時代の移り変わりについて

会長 順風満帆に経営してきた鶴亀海苔も、時代の流れを読めず、2005年に店を締めることになりました。資金力で原料を集めれば売れた時代から、原料の供給過多の時代に移り、商品の値下がり乱売、採算割が起こり鶴亀海苔の事業が立ちいかなくなりました。鶴亀海苔時代の苦い経験をもとに、お客様の喜んでいただける、他にない商品、競争のない商品と素干し海苔(吉四六のり)を考え、鶴亀フーズを立ち上げました。

 

次回、『鶴亀フーズ編』に続く